2012年9月24日 小出裕章さんのコメントが日刊SPA!に掲載されましたので、このブログでも共有させていただきます。
以下、情報を引用いたします。
▼引用元:2012年9月24日 日刊SPA! http://nikkan-spa.jp/291748
=====(引用ここから)=====
放射性物質「ラドン」を放出するウラン残土が野積みに
「福島の除染作業から排出される放射能汚染土の最終処分場の最有力候補が、鹿児島県の南大隅町である!」というニュースが8月23日の夕方、突然報道された。その2日後、25日に南大隅町役場にて「南おおすみの自然を守る会:以下、守る会」による反対集会が開催された。しかしこのような「核のゴミ」問題は原発事故以前からも全国に拡散していた。各地で「核のゴミ」によって引き起こされている問題に迫る。
◆原発事故以前からも全国に拡散していた!各地に散らばる放射能
岡山県と鳥取県にまたがる人形峠では、’59年から原子燃料公社(のちの「動力炉・核燃料開発事業団=動燃」。現在の「日本原子力研究開発機構」)によるウラン採掘が始まった。国産ウランによる原子力開発には大きな期待が寄せられたが、いざ採掘したウラン鉱石は低品質で採算に合わないため10年で閉山となる。
その10年間の代償は地元住民には酷かった。採掘に携わった1000人強の坑内労働者の少なからぬ人が体調を崩し、京都大学原子炉実験所の小出裕章氏は「このうち65人が肺ガンで死亡した」と推計している。
ウラン鉱床には、ウランの崩壊の過程で出てくる気体の放射性物質「ラドン」が存在する。これを、マスク着用の指導も受けなかった労働者たちが吸引したのだ。
動燃は、採掘の過程で出たウラン残土をそのまま野積みした。すると、その現場の風下になる鳥取県の方面地区(人口約100人)でも11人がガンで死亡した。そして、このウラン残土は今も約49万立法メートルもが人形峠周辺の約20か所で野積みされたままなのだ。
その一つである中津河堆積場は、覆土されてはいるが、’09年末時点でも放射線量は最大で毎時0.3μSvを記録した。年間だと約3mSv。年間1mSvを超える。低レベル放射性廃棄物は「原子炉等規制法」で厳重保管を定められているが、それが遵守されないのは同法の対象外だからだ。
前出の小出氏はこう語る。
「ラドンは通常の空気には1立法メートルあたり10Bq程度存在します。法令では、坑道などでは3000Bq以下、一般居住区域に流す場合には20Bq以下と定めていますが、人形峠の坑口でのラドン濃度は最大で10万Bqもありました」
ウランの半減期は45億年。人形峠のウラン残土が野積みされた現場では、今も微量ながらラドンガスが放出されている。
― 全国に拡散する行き場のない「核のゴミ」【1】 ―
真っ赤に染まった川から検出された放射性物質「トリウム」と猛毒「六価クロム」
「福島の除染作業から排出される放射能汚染土の最終処分場の最有力候補が、鹿児島県の南大隅町である!」というニュースが8月23日の夕方、突然報道された。その2日後、25日に南大隅町役場にて「南おおすみの自然を守る会:以下、守る会」による反対集会が開催された。しかしこのような「核のゴミ」は原発事故以前からも全国に拡散していた。各地で「核のゴミ」によって引き起こされている問題に迫った。
◆チタン鉱石から抽出野積みの「フェロシルト」
’05年11月。愛知県瀬戸市下半田川町の住民は驚いた。雨のあと、川が突然真っ赤に流れ出したからだ。「犯人」は、源流が流れる谷間を埋め尽くした「フェロシルト」という赤茶けた汚泥状の物体だ。作ったのは、酸化チタン製造トップメーカーの石原産業(大阪市)。
酸化チタンは、冷蔵庫や洗濯機などの「白物」に欠かせない顔料の原料だ。チタン鉱石から硫酸を使いチタンを抽出すると、最終処分場行きの膨大な産廃が排出される。石原産業はこれを化学処理し、造成工事の路盤材などに利用する「リサイクル商品」として’02年から「フェロシルト」との名称で愛知県や岐阜県、三重県などの東海地方で販売を始めていた。
ところが、その販売の実態は、「保管」と称しての不法投棄そのもの。東海各県の谷にフェロシルトの山が野積みされたのだ。
チタン鉱石にはもともと、ウランやトリウムなどの放射性物質が含まれている。そこで、市民団体が調査してみると、フェロシルトにもそれらの含有が明らかになった。しかし、石原産業も行政も「放射線値は国の基準以内」として根本的対処をしなかった。
愛知県下半田町近くの谷に野積みの放射性物質
この見解に異を唱えたのが、京都大学原子炉実験所の小出裕章氏。小出氏は、愛知県のフェロシルトが積まれた現場から下半田川町までの川を2~3km歩き、調査した10か所すべてで川砂からトリウムを検出した。
「トリウムの半減期は140億年、汚染は永遠にその土地に留まる」
事態が急転したのは’06年6月。野積みされたフェロシルトから、環境基準の15倍もの六価クロムが検出されるに至り、ようやく行政も腰を上げ、石原産業は72万tの全量撤去に追い込まれた。
小出氏はこう語る。
「本来、産廃処分場に行かねばならないチタン鉱石の膨大なクズの始末に困った企業が、『リサイクル商品』として売ることで産廃に対する管理の手抜きをした。始末できない廃物、放射性物質が生じる行為自体をやめるべき」
― 全国に拡散する行き場のない「核のゴミ」【2】 ―
チタン廃棄物から漏れる放射性物質の恐怖
「福島の除染作業から排出される放射能汚染土の最終処分場の最有力候補が、鹿児島県の南大隅町である!」というニュースが8月23日の夕方、突然報道された。その2日後、25日に南大隅町役場にて「南おおすみの自然を守る会:以下、守る会」による反対集会が開催された。しかしこのような「核のゴミ」は原発事故以前からも全国に拡散していた。各地で「核のゴミ」によって引き起こされている問題に迫った。
◆膨大なチタン廃棄物からウラン、トリウム検出
’90年7月。岡山県邑久郡邑久町の錦海塩田跡地にある産廃最終処分場で、毎時5μSvという通常値の50倍もの放射線量が測定された。
埋められていたのは、放射性チタン廃棄物。チタン鉱石から硫酸を使ってチタンを抽出したあとに排出される汚泥や鉱さいのことだ。その量26万t。
奇形魚はウラン残土の影響か?
ところが、ここだけではなかった。岡山県内だけで10か所で140万t。岡山県外でも大阪湾、兵庫県神戸市、三重県四日市市、福島県いわき市、山口県山口市、秋田県岩城町、神奈川県茅ヶ崎市、兵庫県尼崎市と全国各地の「酸化チタン」工場周辺が廃棄した膨大な量のチタン廃棄物すべてからウランやトリウムが検出されたのだ。
ところが、科学技術庁(当時)は、「チタン関連の工場や処分場の放射線量は十分低く、労働者等の健康被害もない」との「安全宣言」を出し、この問題を収束させた。
’91年6月には、科技庁、厚生省、通産省、労働省の4省庁が、関係自治体やメーカーに「チタン廃棄物の放射線量が年間1mSv以下の場合は、工場外に搬出できる」「それ以上の場合は自社で回収する」との基準を示した。これにより、放射性廃棄物であるチタン廃棄物は普通の産廃として位置づけられることになったのだ。通常、ウランやトリウムなどの「核原料物質」は、原子炉等規制法の下で厳重な管理が求められるはずなのに。
この件で、岡山県の市民団体の調査に協力した京都大学原子炉実験所の小出裕章氏は、こう語っている。
「そもそも、廃棄物の総量が大きな危険をはらんでいます。酸化チタンの生成過程で排出される放射性廃棄物は年間で60万t。ドラム缶に換算すると300万本ですよ。これがどれほどすごい量かというと、原発からの放射性廃棄物はドラム缶にして年間2万本にもならない。企業とすれば、適正な処理よりも捨てるほうが楽なわけです」
現在、チタン廃棄物は管理型最終処分場に運ばれているが、場所によっては、処分場から赤い水が流れてくる地区もあるという。多くの住民はそれが放射線を放っていることすら知らないはずだ。
― 全国に拡散する行き場のない「核のゴミ」【3】 ―
セシウム基準値超えの焼却灰が持ち込まれた秋田県小坂町
「福島の除染作業から排出される放射能汚染土の最終処分場の最有力候補が、鹿児島県の南大隅町である!」というニュースが8月23日の夕方、突然報道された。その2日後、25日に南大隅町役場にて「南おおすみの自然を守る会:以下、守る会」による反対集会が開催された。しかしこのような「核のゴミ」は原発事故以前からも全国に拡散していた。各地で「核のゴミ」によって引き起こされている問題に迫った。
◆汚染された首都圏の焼却灰受け入れ再開
国の基準を超す放射性物質が検出された焼却灰が首都圏から搬入され、受け入れが中断していた秋田県小坂町。細越満町長は「安全性を確保する態勢の強化が図られた」として受け入れ再開を表明した。
同町では昨年7月、千葉県松戸・流山の両市から国の基準を超すセシウムが検出された焼却灰が運び込まれ、その一部が最終処分場に埋められたことが発覚したため、受け入れを中断していた。
汚染灰の発覚後、小坂町で展開された署名は町の人口の半数を超える数が提出されている。同町で最終処分場反対の活動をしているA氏はこう語る。
「これは小坂町だけの問題ではありません。受け入れれば、何十年、何百年と放射性物質の脅威と対峙しなくてはならない。排水を米代川にたれ流されれば、下流の流域住民まで巻き添えをくうことになる。一部の業者の儲けのために焼却灰を受け入れるなんてことがあってはいけません」
原発が排出する使用済み核燃料も行き場がない。だが、国内には処分する場所もなく、まもなく使用済み核燃料は、国内の原発の6割に当たる30基のプールが満杯になる。そこで政府が’70年代から計画していたのが、これをガラスなどに溶融して閉じ込め、地下数百メートルに埋める「地層処分」。現在、その候補地は2か所。北海道幌延町と岐阜県瑞浪市だ。ここには、核燃料サイクル開発機構(現・日本原子力研究開発機構)が建設した研究所がある。原子力資料情報室の西尾漠共同代表はこう語る。
「地下研究施設は、処分場建設の一里塚。経済産業省は、文献調査をさせてくれるだけで10数億円の電源交付金を払うなどの策でやっきになっています」
こうして各地に“核のゴミ”が拡散されていくのだ。
― 全国に拡散する行き場のない「核のゴミ」【4】 ―
「汚染土の最終処分場は福島原発付近が合理的」
原子力資料情報室共同代表・西尾漠氏
福島の放射能汚染土の最終処分場の有力候補地として南大隅町が浮上したのは、福島県双葉郡の3町に中間貯蔵施設候補地が環境省から提示された4日後のことだった。原子力資料情報室の西尾漠共同代表に聞いた。
「南の知床」とも呼ばれる自然豊かな大隅半島は、福島原発から1000kmを超える場所だ。
「そんな遠くまでなんでわざわざ船で運んでいくのか。原発事故で人が長い期間住めない所があるわけだから、そこを最終処分場にするほうが合理的だと思います。場所は福島第一原発のすぐ近くがいい」
埋設・管理については?
「廃棄物の詰まったドラム缶の周りをコンクリートで固めて土をかぶせ、約30年ひたすら放射能レベルが下がるのを待つ。『300年管理』すると言うけれど、管理主体の日本原燃そのものが残っているかどうかわかりません」
日本で原発が動き始めてからわずか46年、初の電力会社ができて126年にすぎない。さらに「300~1000mの地底に埋設、100万年管理」が必要とされる高レベル廃棄物の最終処分となると、想像を絶する歳月を伴う。
「今ある廃棄物については最大限の研究開発を続け、その成果を次世代に引き渡していくしかない。無謀な深地層処分をあきらめて、管理可能な貯蔵を続ける。六ヶ所の施設と同じように貯蔵し、30年たったら別の場所に順繰りに移していったっていいわけです。この順繰りであれば都会にだって置けるわけで、公平な負担になる」
【西尾 漠氏】
原子力資料情報室共同代表。『はんげんぱつ新聞』編集長。著書に『どうする? 放射能ごみ 実は暮らしに直結する恐怖』(緑風出版)など
取材・文/樫田秀樹 田中裕司 遠藤秀一
― 全国に拡散する行き場のない「核のゴミ」【5】 ―
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