10月10日 『小出氏だけを番組から外すと体面が悪い。なら、番組を打ち切ればとなったようです』たね蒔きジャーナル打ち切りの舞台裏(今西憲之)

Amazon.co.jp: 創 (つくる) 2012年 11月号 [雑誌]: 本

2012年10月10日 『「たね蒔きジャーナル」打ち切りに至る舞台裏』と題して、フリージャーナリストの今西憲之さんが創 (つくる)11月号で 細かく解説してくださっているので、このブログでも共有させていただきます。

▼引用元:2012年10月10日 「たね蒔きジャーナル」打ち切りに至る舞台裏 リスナーの存続を求める声にカンパ1000万円!(今西憲之) « Silmaril Necktie

以下、情報を引用いたします。

=====(引用ここから)=====

「たね蒔きジャーナル」打ち切りに至る舞台裏 
  リスナーの存続を求める声にカンパ1000万円!
                今西憲之 『創』11月号

毎日放送のラジオ番組「たね蒔きジャーナル」が昨年の原発事故以降反原発の小出裕章氏が頻繁に出演するなどして注目を集めていたが、この秋、突如打ち切りになった。舞台裏でいったい何が起きていたのか。

 9月28日夜、私は大阪市北区茶屋町の毎日放送本社前にいた。そこには、100人を超す人たちが駆けつけていた。大きなプラカードに「ありがとう」と感謝の言葉を記す人もいれば、「復活!」と掲げる人もいる。
 だがみんな悲しげな表情で、ラジオやスマートホンに耳を傾けている。
 MBSラジオの人気番組「たね蒔きジャーナル」がこの日をもって、最終回を迎えたのである。
 昨年の東日本大震災、そして福島第一原発事故以来、絶大な人気と信頼を誇っていた「たね蒔きジャーナル」。今年3月には、坂田記念ジャーナリズム賞・特別賞にも輝くなど、内外で高い評価を受けていた。
 それがなぜ、打ち切りとなってしまったのか。存続を求める活動の呼びかけ人という、中心的な役割を担った立場から、舞台裏を書いてみたい。

小出裕章氏が昨年3月14日から出演

 「たね蒔きジャーナル」が始まったのは2009年10月、今では珍しい、ラジオ報道が制作する報道番組という硬派な位置づけだった。
 大阪では、橋下知事が誕生し、府政や市政が劇的に変わろうとしたタイミングだった。国政でも、政権交代が起こっていた。私の親しいジャーナリストらも、出演。懇意な番組スタッフもいたので、気になる番組だった。
 だが、その名前がとりわけ印象づけられたのが、3・11の東日本大震災における福島 第一原発事故である。大手メディアが政府や東京電力の「大本営発表」をたれ流し”メディア不信”が募る中で、反原発で著名な京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏が3月14日から出演。政府や東京電力の発表とは違う、原発の真実をずっと伝え大きな支持を得た。
 震災の当初、私は宮城県で取材にあたっており、「たね蒔きジャーナル」で小出氏が語っていることは知らなかった。宮城県の取材が一段落して、原発取材にとりかかろうとした時、そのことを知った。
 今から20年近く前、瀬尾健氏という小出氏の同僚が記した『原発事故・・・・・・その時あなたは!』(風媒社)という本が隠れたベストセラーになっているトピックを私は取材した。瀬尾氏は出版時には亡くなられており、小出氏が詳細を教えてくれた。
 その本は、原発事故が起こった時、どれくらいの被害となるのか、全国の原発の規模や風向きなどのデータを元にして書いたもの。大飯原発で事故があれば、10万人が被爆、死亡するという内容。あまりにセンセーショナルで、大手山版社では出せないものだった。
 福島第一原発の事故についても想定が書かれており、おおむね今回の事故の被害と一致していることでも、内容は実証済だ。今では、希少となったこの本。事故直後に探していると、私のもとに多くの問い合わせがあった。
 小出氏が喋っているなら間違いない。その内容をインターネットでチェックして、福島への取材に旅立った。
 私は昨年、原発の取材拠点として、福島県いわき市に100日ほど滞在した。ホテルでは多くの原発関係者滞在していた。こちらは原発の本当の姿を「暴く」側で、東京電力や原子力安全保安院などは「守る」側。だが、長く一緒にいると親しみもわく。時には、部屋で酒を酌み交わすこともあった。
 ある原発の有力会社で働く人の部屋で飲んでいた時だ。別の仲間が入ってきた。彼はスマートホンを手にしていた。
「今日ももそろそろ、始まります」
そういってボリュームを大きくしたのが、「たね蒔きジャーナル」のオンエアだった。
 「仲間の多くが、この番組を日課のように聞いている。小出氏が山ないとがっかりですよ。今西さん、マスコミつながりで知り合いがいるなら、MBSに言ってくださいよ。小出さんを毎日、出演させてと」
 原発の現場でも、絶大な信頼を得ていたのである。

「すきすきたねまきの会」結成し、存続を求める

 その後、私はマスコミが取材許可されていない、福島第一原発に潜入。自分で見て聞いて、感じたことを書いた「福島第一原発完全ルポ・原子炉建屋は木っ端みじんだった」(「週刊朝日」2011年9月16日号)を発表。その後、「福島原発の真実・最高幹部の独白」(朝日新聞出版)という著書を出した。本誌2011年11月号でもその舞台裏を書いた。
 そんなことが縁で「たね蒔きジャーナル」のスタッフから声をかけてもらい、今年5月19日に番組出演した。
 だが、一つ、危惧していたことがあった。原発潜入ルポを発表した後、いろいろなメディアから取材のオファーがあった。だが、地上波のテレビ局はすべて「映像だけ下さい」というものばかり。
 「政府、東京電力の許可がなく、記者クラブも関与していないルポなんで、今西さんに直接出てもらうと、会社で面倒なことになるのです」
 ある民政テレビ局ののスタッフはそう内情を嘆き、こうも言った。
「大本営発表以外報道できない」
 テレビ局というのは、どこでもそんな程度の意識。実際、私になんら制限をかけず自由にしゃべらせてくれたのは、文化放送と朝日ニュースターだけだった。
 そんな経緯があったので、一応、番組のスタッフに聞くと、
「自由にして下さい。小出先生が出演されているほどですから」
 との回答だった。
 オンエアでも、自由に話をさせていただいた。メインパーソナリティは水野晶子アナウンサー。小出氏が連日、出演しているだけあって、原発のことをよく理解し、私の著書の要点をきちんと把握している。質問の内容も鋭く、的確。さすがだと思った。
 現場を踏み取材してきたことが本当だと、真実はこうなんだと、予断や偏見なくきちんと伝える。報道で最も大切なことを、実践している番組なんだということが、よくわかった。
 だが、それから1ケ月ほどした時である。番組のスタッフが異動になったという情報が入ってきた。そしてMBSの関係者からはこうも聞いた。
「たね蒔きジャーナル、なくなってしまうかもしれない」
 私は思わず。
「ほんまでっか」
 と声をあげた。
 そんな危惧が「確信」に変わってきたのは、7月末のこと。私のツイッターのフォロワーから、「たね蒔きジャーナルが秋で打ち切りって、本当ですか」と尋ねられたのだった。
 MBSの関係者にすぐ確認をとると、
「残念ですが、その方向です。ほぼ決まっています」
 というばかりだった。
 そんな時、連絡をくれたのが「たね蒔きジャーナル」打ち切りの情報を最初にツイッターで書いた、北朝鮮報道で著名なジャーナリストの石丸次郎氏。そこに市民活動の拠点を大阪にも築いていた湯浅誠氏も加わり、結成されたのが番組存続を求める「すきすきたねまきの会」だった。会の目的は「たね蒔きジャーナル」存続だ。取材すると、番組打ち切りに、「報道番組に硬いイメージがあり、スポンサーがつかない。ラジオの大きな収入源、ラジオショッピングもできない」と台所事情が関係しているという。
そこで、広くカンパを募り、我々がスポンサーとして「たね時きジャーナル」を支える。過去に番組に出演した人は、無料出演するというものだった。
 会の核となる呼びかけ人は、番組出演者が中心になった。小出氏を筆頭に石丸氏、タレントの山本太郎氏や、漫才師のおしどり、放送作家の石井彰氏、中東報道で定評あるジャーナリストの西谷文和氏、もちろん私も名を連ねた。
 湯浅氏が事務局を切り盛りし、賛同人として、会をサポートしてくれる人を集めてくれた。呼びかけ人12人、賛同人78人で活動を開始したのは8月16日。
 カンパの目標は1000万円とした。
 スポンサーになるというのだから、大きな金額が必要だと思った。厳しいのを覚悟して、あえて1000万円を目標にした。
 だが、呼びかけをスタートして1週間ほどで100万円を超えたと聞かされ、正直、驚いた。ツイッターで「すきすきたねまきの会」のことをツィートすると、すさまじい反響がある。ひょっとして、目標の半分くらいは集まるのではと、手応えを感じ始めた。
 我々よりもひと足先に、ブロガーの座間宮ガレイさんがはじめた存続のネットを通じた署名活動も、千の単位で集まっているという。
「方針は簡単には変わらないと思っていた。しかし、存続活動が盛り上がり「ホンマに終了、打ち切りでええんか」「ただのラジオ番組で、かつてなかった」という話が局内で出始めています」
 とMBSの関係者が私の耳元でささやいてくれたのも、この時期だった。

リスナーの拍手を背にMBSの社屋ヘ

 そして、8月27日、湯浅氏らの尽力でこれまでの感謝と存続をMBS側に訴える面談が実現した。平日の夕方という時間帯にもかかわらず、数多くのリスナーが集合。面談に参加する呼びかけ人は、リスナーの大きな拍子に勇気をもらい、MBSの社同に向かった。
 面談に参加したのは、小出氏と石井氏、西谷氏、湯浅氏そして私の5人。MBSからは、葛原淳総務部長と副部長、ラジオ局編集センターのスタッフも同席。
 これまでのお礼を述べるとともに、今後の存続をお願いした。だが、MBSの葛原部長は、「番組の改編は非常に重要。9月19日にその発表を予定している。『たね蒔きジャーナル』がどうなるのか、我々はまったく知らされていない。存続しないという前提では話すことはできません」
 我々としても、打ち切りが前提でない方がありがたい。だが、寄せられた情報の大半が打ち切りになるというもの。
「私たちは『たね蒔き』が続く前提で、長く放送してもらえるように、スポンサーになりたいと、今日はやって来ました」
 そこで、湯浅氏がリュックに人れて持参してきた、集まったカンパを、「今日は受け取って頂きたく、持参してきました」
とテーブルの上に置き、200万円を超す札束を差し出した。しかし、葛原氏は、
「改編がまだ発表されていないし、どういう形であれ、今は受け取れない」
 と話した。
 お互いの前提が違うので、話が前に進まない。予想通りとはいえ、いらだちもある。すると、小出氏は、「改編の審議とはどんなものか。MBSの放送というのは単なる金儲けでやっているのではない。一切、説明がないというのでいいのか。審議の内容や経過を知りたい」
 そう詰め寄った。だが、葛原氏の答えは、
「一般論だが、もし『たね時きジャーナル』が打ち切り、なくなっても、培われた精神やノウハウは受け継がれる。発展的解消である。そのまま『たね蒔き』というスタイルにはならないかもしれないが、なくなってもよりいい書組にしたい」
 どちらにもとれるような、発言に終始した。これを聞き、内心、
「もう決まっているのだろうか。可能性は薄いのかな」
 私の頭の中では、そんな思いがよぎり、MBSの会議室を後にした。

9月に入ると絶望的な情報ばかりが・・・

 外ではたくさんのリスナーが待ってくれていた。本当にありがたい。一方で、状況が厳しいことは肌で感じた。しかし、こうして活動を始めた以上、応援してくれるリスナーのためにも、なんとか頑張りたいと思うばかりだった。
 その翌日、朝にMBSの関係者の一人が私に電話をくれた。
「社内で『あのような対応でいいのか』『失礼じゃないのか』と問題になっている。存続がほぼダメな風向きから、わずかだが可能性も見える気がする」
 そんな情報を寄せてくれた。
 また、カンパの金額がMBSとの面談を境に急カーブで増えてゆく。あっと言う間に500万円を越えて、数字はアップを続ける。ネット署名も5000を越えた。
 ひょっとすると、奇跡が起こるんじゃないだろうか。
 しかし、9月に入ると、絶望的な情報ばかりが続いた。
「存続活動の盛り上がりで、ラジオ局の幹部はちょっと揺れた場面があった。しかし、もっと上のえらい幹部は「一つのラジオ番組だろう。そんな活動で、ひるんでいたらダメだ』と叱責。わずかだが火がつきかけたのに」(MBS関係者)
 また「たね蒔きジャーナル」の時間帯の新番組が「with・・・夜はラジオと決めています」というタイトルで、夜7時半から9時までのワイド番組化するという、高い確度の情報もきた。水野アナは、毎週金曜日夜9時から1時間番組、「報道するラジオ」を担当することもわかっってきた。
「看板だった”たね蒔き”という名前を使うことはまかりならんとの話が伝えられている。水野アナは連日のように、ラジオ局やアナウンス部の幹部から呼ばれ説得されている。番組打ち切り発表の放送で『いらんことしゃべるな』ということらしい」(MBS関係者)
 外部で大きなうねりとなっている存続活動。社内でも有形無形の声が聞こえてきてもいいのだが、
「最初にツイッターで情報が漏れた時に『誰がリークした』と大きな問題になり、幹部が情報を知る関係者に聞き取り調査をするほどになった。その模様は録画され『査問ではないか』と言われるほど厳しいものと聞いている。労組でも、声があがった。しかし、労組にもたね時きのスタッフはいる。『自分たちのために』とうがった見方が出てしまい、動けなくなってしまった」

9月7日、MBSとの二度目の面談

 9月7日、MBSとの二度目の面談が実現した。カンパはますます大きくなり、目標の1000万円寸前、965万円を持参。テーブルにつくと、湯浅氏は現金を目の前に積み上げて、「受け取ってほしい」
 と迫った。
 しかし、応対した葛原氏の答えは前回と同様でかわりない。「たね蒔きジャーナル」の打ち切り前提では話ができないという点も変わらない。
「MBSはフロンティア精神を大切にする会社。『たね蒔きジャーナル』はそれを体現した。仮に番組が改編となっても、精神は引き継がれる」
 と言うにとどまった。
 この日は夜8時過ぎに面談が終わったにもかかわらず、100人を越すリスナーが集まってくれた。山本太郎氏も関西電力前のテモから加わってくれた。呼びかけ人が、大きな声で話すも、聞こえないほどの熱気に包まれた。
 関西のラジオは聴取率のデータからすると、朝日放送がダントツとされる。野球中継の阪神戦に絶大な人気があるためだ。MBSはその後塵を拝している。しかし、3・11以降、たね蒔きジャーナルのブレークで、朝日放送からMBSへと、ダイヤルを切り換える人が多くなった。
 各方面から高く評価され、坂田賞も受賞した。存続活動にこれほど多くの人が集まるほど「たね蒔き」は金看板に成長した。こと、原発報道に関しては、東京新聞、文化放送の「ソコトコ」と並び「御三家」と呼ばれるほどだ。
 大阪人の私からすると、どうして商売繁盛の番組を切るのか、まったく理由がわからない。やはり、関西電力の圧力なのか。私がそう考えたのには理由がある。
 2008年10月19日にMBSは「なぜ警告を続けるのか?京大原子炉実験所・異端の研究者たち」というドキュメンタリー番組をテレビ放送。小出氏をはじめ、原発の危険性を訴え続けた「原子力ムラ」の異端児にスポットをあてた番組だった。
〈その後の騒動について、民放労連の関係者が言う。「番組放送後、関西電力からは「反対派の意見ばかり取り上げるのは公正ではない」という申し人れがあり、局側は『番組の最後で推進派の教授と討論する場面を人れている」と反論したそうですが、関電は納得しなかったのでしょう。その後、しばらくCMを流さなかったと聞いています」〉
〈この後、毎日放送では、関西電力の社員を講師として、原発の安全性についての「勉強会」も開かれたという。
 関西電力サイドは、この件について「放送された番組の内容を受けてCMの出広量を減らした事実はない。
 講師派遣についても、先方の要請で行うことはあるが、こちらがねじ込んだりしたというが事実はない」と否定する。)(「週刊現代」2011年4月16日号)
 これが、ひっかかっていた。
 その内情について、MBSの幹部の人はこう解説した。
「関西電力からの圧力といいますが、そうではない。MBSが関西電力の立場を勝手に慮って、小出氏という反原発の旗頭のような人の声をずっと流すと困るだろうと判断。だが、小出氏だけを番組から外すと体面が悪い。なら、番組を打ち切ればとなったようです。その奥には、いずれ関西電力からたくさん広告がもらえればという、商魂もゼロではないですがね」
 そんなことで「たね蒔きジャーナル」という素晴らしい番組が消えるとすれば、実に情けない限りだ。

9月11日、広告代理店に打ち切りを告げるアナウンスが

 9月11日、広行代理店に「たね蒔きジャーナル」の打ち切りを行げるアナウンスがあった。翌日、労組が〈寄付金965万円を携えて・・・存続の声にどう応えるのか?〉というビラを配付したが、もうすでに時は遅かった。
 そのビラには、
〈3・11の原発事故以降、「マスコミは事実をきちんと正確に伝えていない」という批判が高まりました。私たち放送局で働く者には、市民から厳しい視線が注がれています〉
 その「事実」をきちんと伝えてきたからこそ、「たね蒔きジャーナル」は支持されたのではなかったのか。
 ビラにはこうもある。
〈番組の存続を求めて、1000万円近いお金が集まるというのは、放送の歴史の中で、過去に例のないことです。(中略)視聴率低迷に悩むMBSに、わざわざ1000万円近い現金をもって番組の存続を求めてきた市民に対する対応として、会社の判断は正しかったのでしょうか。放送局はいったい誰のために仕事をしているのでしょうか〉
 こんな正論が、MBSの中ではかき消されて、届かなかったのか。局内では来年春に復活を求める動きもあるが、状況は厳しい。
 呼びかけ人として一緒に活動した、放送作家の石井氏は、
「どのラジオ局もワイド番組化で失敗して、聴取率を落としている。ラジオというメディアの特性を生かすには、広く浅くよりも狭く深く。今は、2時間、3時間と同じ番組を聞くような時代じゃない。MBSもこうした失敗例、十分にわかっているはずだが」
 と長年のキャリアを踏まえてそう話す。

カンパは締切を過ぎても寄せられた

 景気低迷で、広告収入の減少が続く放送業界。報道やドキュメンタリーの予算を減らしている実情がある。そんな中、きちんと報じれば、収益にもつながりブランドにもなる。それを証明したのが、「たね蒔きジャーナル」ではなかったのか。そんな「お手本」が簡単に切られてしまうのである。
 放送、新聞、雑誌とマスコミ界がダメになると、ジャーナリズムの発展はない。沈みゆくばかり。なんとか、それを食い止めたい、私はそう願う。そこに「すきすきたねまきの会」に届いたカンパを役立てることはできないものか。
 カンパは締め切りが過ぎても寄せられて、最終的に、目標の一千万円を越えた。返金希望者を除いたカンパについての使途は検討中だ。
 呼びかけ人の意見としては「たね蒔きジャーナル」の精神を引き継ぎ、他局でカンパを原資にスポンサーとなり「たね蒔き」の冠をつけて、小出氏もレギュラー出演して、放送できないかという案もある。小出氏はこう話す。
「たね蒔きジャーナルは9月27日の放送で最後。二度、MBSとの面談に参加した。そのやりとりで納得できない点がたくさんある。抗議の意味も含め、しばらくMBSには出演するつもりはない。カンパが寄せられた新企画には協力するつもりです」
 番組打ち切りが決まって、ある時、水野アナと偶然、雑談する機会があった。
「なんで、終わってしまうのか。こんなに愛された番組やのに・・・・・・」
 うつむき話す姿があった。
 その無念の思いがひしひしと伝わってきた。
 たねを蒔き、芽が育ち、花が開いた「たね蒔きジャーナル」。その精神を少しでも継承してゆきたい。

今西憲之
66年大阪府生まれ。フリージャーナリストとして週刊誌、月刊誌にルポを発表。著書「福島原発の真実 最高幹部の独白」(朝日新聞出版)など。

=====(引用ここまで)=====

2012/09/28 たね蒔きジャーナル【最終回】 放送後MBS前集会 – YouTube

aibofund さんが 2012/09/28 に公開
すきすきたねまきの会 → http://www.tanemakifan.net

11:00〜今西さんのあいさつがあります。

※今西憲之さんのブログはこちらです。 
いまにしのりゆき 商売繁盛でささもってこい!

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