3.子どもたちを助けるために!社会を変えていくために!/2012年11月18日 小出裕章さん講演会 in 鈴鹿国際大学(文字起こし)

3.子どもたちを助けるために!社会を変えていくために!

2012年11月18日に鈴鹿国際大学で開催された「小出裕章さん講演会」の動画がYouTubeに掲載されていますが、2時間22分という長時間の動画ですので、全編視聴できない方のために、4つの記事に分けて文字起こし致しました。3件目は「子どもたちを助けるために!社会を変えていくために!」です。

▼文字起こしは以下。

変わってしまった世界の中で
私から見ると、昨年の3月11日で、世界が変わってしまいました。

私は、かれこれ40年近く、京都大学原子炉実験所というところで、放射能を相手に、仕事をしています。
自分も被ばくをしたくないので、私が管理をしている放射線管理区域の中は、出来る限りきれいにしてあります。
放射線の管理区域ですから、放射能あるし、入れば被ばくをする危険はあります。
でも、放射線管理区域の中が全部放射能で汚れているとすると、私はそこで落ち着いて仕事が出来ないので、出来る限り被ばくをしないように、出来る限りきれいにしようとして、自分の放射線管理区域内をきれいにしてきました。
ほとんどの場所は、床に私が寝転がっても、私の衣服が汚れないというぐらいに、きれいにしてあります。
そして、そこで仕事をしても、決して放射性物質を外部に持ち出して、普通の人々を被ばくしないように、したいと思い続けて、そうしてきました。

しかし、先ほど見ていただいたように、もう今や、東北地方、関東地方中心にして、広大なところで、人々が普通に生活する場所が、放射線管理区域以上に汚れてしまっています。

変わってしまった世界の中で
土地も食べものもガレキも下水の汚泥も、多くの物質が放射性物質と呼ぶ物にすでになってしまっている。

放射線管理区域にあるんじゃないんですよ。
人々が生きている場所です。
子どもたちが泥んこになって遊んでいる場所が、放射性物質だらけなんです。

もし、福島に生きている人たちが、自分が被ばくをしたくない、あるいは自分の子どもを被ばくさせたくないと思うのであれば、京都大学原子炉実験所で、私が管理している放射線管理区域の中に来てください。
そうすればその人たちが被ばくをしないで済む。

これまでは管理区域が汚れていて外はきれいだというのが私の常識だったわけですけれども、今は外が汚れていて、管理区域がきれいだ。
なんとも皮肉なことですけれども、世界がひっくり返ってしまった、という、そういう状態になりました。

しかし、もうどうしようもありません。
私には時間を元に戻す力はありませんし、生じてしまった汚染を消すこともできません。
この現実の中で生きるしかないし、唯一残されているのは、こんな事故を許してしまった大人として、いったいこれからどう生きるのかというそれだけだと思います。

私の願い
私がやりたいことは二つです。
一つは子どもを被ばくさせないと、もう一つは今日は聞いていただく時間がありませんが、一次産業を何としても守るということを私はやりたい、と思っています。

原子力を選んだことに責任のない子どもたちは被曝に敏感
子どもを被ばくから守るという理由は単純です。
子どもには原子力を選んだことの責任がありません。
福島の事故を起こした責任だって、ありません。

福島の事故を引き起こして、こんなに汚れた世界を作ってしまった、その責任は、原子力ムラと呼ばれてきた巨大な組織、つまり日本の国家、電力会社、原子力産業、マスコミ、裁判所、原子力の旗を振った学者たち、そういう人たちに猛烈に重たい責任があると私は思います。

私は原子力の旗を振りませんでしたが、でも、原子力の場にいる人間として、皆さんとは違った重たい責任があると私は思います。
でも、この会場にいる、ちいちゃな子どもさんもいてくれるけれども、少なくても選挙権を持っている大人の人たちは、無罪と言えるんですか?
日本の国家が原子力をやると決めて、マスコミが四六時中原子力は安全で絶対事故を起こさないと宣伝をしてきたんです。
普通の人たちが、原子力は安全だろうと、思ったとしても不思議ではありません。
何となくここまで見過ごしてきたと言っても、不思議ではありませんし、皆さんが騙されたんだと、言っていいと思います。

でも、騙されたなら責任がないというなら、また騙されます。
騙されてしまったことの責任というものを、やはり引き受けるべきだと私は思うし、少なくてもこの会場に来てくださっている皆さんも、大人である以上は責任があると思います。
でも、子どもたちにはない、のです。
なんとしてもその子どもたちを被ばくから守るということをやるのが、大人の責任だと思いますし、子どもたちは被ばくにたいへん敏感なんです。

放射性ガン死の年齢依存性
それを今から見ていただこうと思います。

これから見ていただくのは、放射線ガン死の年齢依存性というものを見ていただきます。
1万人・シーベルト当たりのガン死数というものです。
シーベルトというのは被ばくの単位です。

そして、ここに私は1万人・シーベルトという、また別の単位を書き込みました。
ちょっと皆さんピンとこないと思いますので、説明します。

私が1シーベルトの被ばくをした、私と同じように1シーベルトの被ばくをした人間をここに1万人集めてくる、そうすると、被ばくの合計量が1万人・シーベルトになるという、そういう単位です。
皆さんは1年間に1ミリシーベルト以下の被ばくしかしてはいけないと、日本の法律で守られています。
つまり、1シーベルトに比べれば、1ミリですから、1000分の1です。

そういう皆さんを集めてきて、1万人・シーベルトという合計の被ばく量に達しさせようとするなら、こんどは被ばく量は1000分の1しかないわけですから、人数を1000倍集めてこなければいけないということになります。
1ミリシーベルトの被ばくをした人たちを1000万人集めてくると、初めて1万人・シーベルトという被ばく量に達すると、そのときにどれだけガンで死ぬ人が出るかというと、もし被ばくをした人たちが30歳であれば、そのうち3855人がガンで死ぬという、それぐらいの危険度、です。
今日この会場にも30歳ぐらいの方がいらっしゃいますけれども、そういう方々は極々平均的な人間としての危険度を持っていると思ってください。
そして、これが今書いたように極々平均的な危険度です。

人間というのは、まあ人間以外もそうですけれども、一番始め命として現れるときには、母親の卵子と父親の精子が合体した、たった1個の細胞としてこの世に生まれてくる。
その細胞が、母親の体内にいるときに、次々と細胞分裂をしていって、だんだんだんだん人間の形になって、10月10日経って産み落とされてきたときには、もう1人前の人間のからだになって生まれてくる、でもまあ片手で持てるぐらいの生きものですね。
それも毎日見てて面白いようにどんどんどんどん大きくなっていく、つまり細胞分裂を活発に行って、自分のからだを作っていく、細胞分裂をするときに自分の遺伝子を、私なら私しか持っていない遺伝子を正確に複製して私のからだを作るということをやっているわけです。

胎児のときに一番やるし、赤ん坊のときにだってやるし、どんどんどんどんからだが成長していくときにそういう作業をしているわけです。
そういう作業をしているときに放射線で傷を受けてしまえば、傷を受けた情報をまた複製してしまいますので、病気になる、ということになります。

もう二十歳を過ぎれば、まあだいたいもうからだは出来てしまうわけで、それ以降は放射線の危険度というのは、そんなに高くなくなっていきます。
もちろん30歳を過ぎた、過ぎれば、どんどんどんどん放射線に関しては鈍感になって、もう55歳にもなれば、平均的な被ばくの危険度に比べて70分の1とか80分の1です。

今日この会場に55歳を越えている方、いっぱいいらっしゃると思いますけれども、もう、え〜たいして気にしなくてもいいです、というぐらいには、あっ、危険がゼロではないので、でも、気にしていただかなくてはいけないけれども、でも、危険はずいぶん少ないです。
そして、こういう世代の人間が、原子力を許してきた。

子どものほうはどうかと言えば、若くなれば若くなるだけたいへんです。
0歳の赤ん坊なんていうのは、平均的な人間に比べれば、4倍も5倍も危険を負ってしまうという、そういう生きものです。
そして、0歳、5歳、10歳というようなこういう育ち盛りの子どもたちには、原子力を選んだ責任がないのですから、なんとしてもこれから彼らを被ばくさせないということを私はやりたいと思いますし、え〜、大人の責任だと思います。

原子力を利用すると核分裂生成物などの放射性物質を生み出す。
え〜、そうか、もう私のいただいた時間はもう無くなってきてしまったので、これからまだいろんなことを皆さんに聞いていただこうと思ってきました。

原子力というものをやってしまうと、事故が起きるや起きないやに関わらず、必ず放射性物質を作ってしまう。
はじめに見ていただいたように、一つの原子力発電所が1年運転する毎に、広島原爆1000発分の死の灰を作ってしまう
そして、それを無毒化する力が私たちにはないと、そんなものを使ってきた、のです。

原発はトイレのないマンション
そのため、原子力発電所というのは、トイレのないマンションだと、はじめから言われてきました。
この会場のいらっしゃる皆さんの中にも、マンションにお住まいの方がいらっしゃるかもしれませんが、トイレのないマンションには人は住めません。

本当はそんなことやってはいけなかった、のです。
事故が起きる起きないの前に、こんなものはともかく作ってはいけないというものだったと私は思います。

え〜、これから、原子力発電所で作ったゴミというものを、100万年に渡って、どこかに隔離を続けなければいけない、ということになります。
原子力発電、せいぜい数十年しか利用できないのですけれども、私たちの世代です、その世代が、電気が欲しいよ、エネルギーが欲しいよと言って、原子力をやったがために、膨大なゴミを送り出して、そのゴミを未来永劫の子どもたちに、押し付けるしかない、というそういうものでした。

原子力有価証券報告書に基づく発電単価
この話をやりたいと思ったのですが、もう今は飛ばします。

原子力を止めても停電しない
これだけはちょっと聞いていただきましょう。

そんなものを一刻も早く止めるべきだと思っているのですが、日本の国、あるいは電力会社、経済を動かしている人たちは、いやもう原子力から逃げられないと、日本の電気の3割は原子力だと、もう諦めろというようなことを言っていますね。
でも、それが正しくない、のです。

今、私はここに、水力、火力、原子力、その他と書きましたが、これは日本の電力会社が持っている発電所の量を示しています。
え〜、帯の高さはそれぞれの発電所が1年間フルパワーで動いたときに、どれだけの発電が出来るかという、発電所の能力を表しています。
そして、電力会社が持っている発電所のほかに、最近は自家発電所というものが、猛烈にできて、できました。
え〜、大企業は、電力会社の電気代高過ぎて買いたくないと、自分で作ったほうが安いと言って、自家発電所というものを作ってきた。
え〜、電力発電所が持っている、水力発電所、原子力発電所、自家発電所は、ほとんどもう同じ能力になっている。

一番とにかく量が多いのは、火力発電所、です。
ただし、実際には1年間フル稼働しないわけですから、どれだけの電気を起こしたかというと、これだけです。

水力発電所の場合には、え〜、説明をする時間がありませんが、揚水発電所と言って、原子力発電所の電気が余ったときだけ動かすという、特殊な水力発電所があるために、ほとんど動いていません。
え、そのため、え〜、能力に比べれば20%も動かないという状態になっています。

一方、原子力というのは、動き始めさせると、止めることもできない、出力調整も出来ませんので、え〜、事故で止まっていたり、定期検査で止まっているもの以外は、高い確率、なるべくフルパワーで動かすということで、稼働率は比較的高くなっています。

火力発電所というのは、なんと動いていたのは46%、つまり半分以上は止めているほど余ってしまっているという、そういう状態になっています。

そして、電力会社が発電した青い部分のうち、原子力の青が3割を占めているというのですが、それが皆さんもう見て分かっていただけると思いますが、本当のことです。
しかし、この原子力の青い部分がないと困るかと言えば、困りません。
なぜかと言えば、こうすれば良い。
膨大に余っている火力発電所を動かせば、十分足りてしまう、ということになります。
しかし、ここに私が書いたのは、2009年度1年間トータルの量です。

で、そのため、国や電力会社は、これはトータルで言えばそうだけれども、電気を一番たくさん使うときに、やはり発電所というのは要るんだと、電気は貯めておけないんだから、真夏の一番たくさん電気を使うピーク電力のときに、原子力発電所がないと、停電してしまうじゃないか。
どうだ困るだろう。
やっぱり大飯原子力発電所再稼働と言ったんですね。

発電設備容量と最大需要電力量の推移
でも、それはウソなんです。

これは1930年から今日に至るまで、どういう発電所がどれだけあって、ピーク電力がどれだけ必要であったかということを書いたグラフです。
下が水力、黄色が火力、その上が赤が原子力、その上に猛烈に増えてきた自家発電所があります。
そして、ピーク電力は、黒の丸印と線、です。

分かっていただけると思いますが、水力と火力さえあれば、足りていたのです。
1990年代のある年にちょっとだけ赤に食い込んでいるところがあるのですが、こういうときに原子力が無いと足りなかったかと言えば、実はそういうことでもなくて、自家発電所から融通してもらえれば、そのときでも足りた筈、なんです。

そして、ピーク電力というのが生じるのは、真夏の数日の午後の数時間という、たいへん特殊な時だけなんです。
そんなときに足りないというなら、工場が生産調整をすれば良い、家庭の皆さんがエアコンの温度調整を帰れば良いというので、こんなときだって、実はゆうゆう間に合った、のです。
そして、2009年、ここでガタっと減っていますが、これはリーマンショックというのが起きて、世界中の経済が崩壊したのです。そのため、日本の経…企業も、え〜、電力を使わない状態にどんどんなってきまして、今や水力と火力があれば、猛烈に余ってしまうというほどになってしまっているのです。

原子力発電所なんて、即刻止めたところで、いついかなるときも何にも困らない、というのが現在の状況です。
それなのに、日本の国や電力会社は、原子力をやらないと停電してしまうぞと、脅しをかけてきたんですね。
みんな節電しろ節電しろと言うようになりました。

私は節電はたいへんいいことだと思います。
私は個人的には電気は出来る限り使わないという生活をしています。
家庭にはエアコンが1台もありません。
私の研究室は京都大学ですからエアコンは付いていますけれども、スイッチを入れたことがないので、たぶん動かないと思います。

昨日、私は、え〜、岐阜の可児市にまで行ってここに来たんですけれども、電車に乗ろうとして駅に行くと、たいていエスカレーターとエレベーター、あ、階段が並んでいる。
ほとんどの人はみんなエスカレーターに群がって行きますけども、私は足があるので、エスカレーターは行きません。
階段を歩きます。
十分やれる筈だと思いますので、節電を何とか皆さんもして欲しいと、思います。

でも、節電なんかしなくたって、何にも困らない、のです。
ですから、私は去年の夏、今年の夏に、国や電力会社が節電しろ節電しろと言ってきたときには、何をと思いました。
それなら使ってやると。
それほど向こうがデタラメを言ってきているわけですから、こちらも心して向き合わなければいけないと思います。

疲弊させられた地域
これまで原子力をやってきて、たくさんの地域が本当に疲弊させられて、きました。
原子力発電所を拒否した地域もあります。

三重県では芦浜というところが、ついに原子力発電所を拒否してくれて、三重県には原子力発電所はありませんけれども、原子力発電所を作られてきたところだって、喜んで受け入れたわけではない、んです。
みんな地域が否定、疲弊しまって、それをもう受け入れるしか生き延びられないと思って、受けさせられてしまいました。

そして、一度受け入れてしまえば、もう抜けることができません。
たくさんの交付金、固定資産税なんかが入ってきて、地方財政が膨らんでしまう。
どんどんどんどん交付金や、地方、交付金や固定資産税が減っていく、となればやっぱりお金が要るから、次の原子力発電所を作ってくださいむしろ、地方から求めてしまったということになりました。
たいへん、困った状態だと思います。

私から見れば麻薬です。
一度麻薬に手を染めてしまったら抜けられないと、自分では。
そういう地域がもう日本中にたくさんあるわけですけれども、なんとかそういう地域をこれから日本全体で、財政を支えて、原子力なんか無くても済むようにしなければいけないと思います。

優しいということ
今日、私は、優しいということは何か、というテーマから始めました。
私は辿り着いた結論というのは、今はこうです。

自分以上に、生きることに困難を抱えている生きものに対して、どんな眼差しを向けることができるのか?ということが、優しさということの中身だと思います。

人間だけでない、ほかの動物もそうですし、地域という単位で言ってもいいと思います。
困難を抱えている人たち、生きもの、地域に対して、私たち一人一人がどういう眼差しで向き合うかということこそが勝負なんだろうと思います。

沢田研二「朝焼けへの道」
え〜、時間を過ぎているのですが、これはあの聞いていただこうと思います。
沢田研二という歌手、ご存知ですよね。
私と同じぐらいの世代の方は当然知っている、え〜、ジュリーという愛称で呼ばれて、私が高校生の頃、タイガースというグループサウンズで一世を風靡した歌手です。
今でも沢田研二は一人で歌っていますし、ついこの間は「我が窮状」という歌、憲法9条をテーマにした歌を歌って、しっかりと彼の意志を表明してくれています。

え〜、その彼が、実は猛烈に若い頃、確か20何歳かの頃に、歌った歌が、今から聴いていただく「朝焼けへの道」という歌です。
え〜、これもグループサウンズの頃、彼が歌っていて、私はこの曲を聴き逃していましたけれども、でも、その頃から、もう彼は、きちっと、自分の思いを歌に込めて歌っていたんだなと、思いました。
で、聴いてください。

(歌詞記載略)

諦めた時が、最後の負け
今、福島の汚染地で、子どもたちも生きているし、子どもを持った親たちも生きていて、たいへんだろうと思います。
涙なんて枯れ果てるほどたぶん毎日苦しい中生きている。

でも、どうしようもないんですね。
この、現実で生きるしか無い。

でも、その涙だって、きっとまたいつか、虹になるかもしれません。
諦めないでいきたいと思います。

田尻宗昭
そして、今後今日は、三重県ですけれども、え〜三重県には、そうやって国のやり方に抵抗してきた、人、私が尊敬する人々も、人でもありますけれども、田尻宗昭さん、がいました。

今日、私は四日市を通ってきましたけれども、え〜、工場群で埋め尽くされている街でした。
そこがたくさんの公害を発生したときに、田尻さんはその公害企業を、まぁ、公害を日本の国家が支えながらきたわけですけれども、え〜、田尻さんは、公害企業を摘発するということに立ち上がって、四日市の公害企業を次々と摘発する。
そして、東京都に移ってからも、公害と闘い続けるという仕事をしてくれた人でした。

え〜、その田尻さんが、残した言葉があります。
あちこちの人々のところに行って、諦めてはいけないと、運動が弱くても、諦めないでやろうと、呼びかけました。
そのときの田尻さんの言葉がこうです。
「社会を変えていくのは数じゃないんだ。一人です」と言うんですね。
その人が猛烈に強い思いと、それがすべてを決めるんだ、諦めるなと言いました。

そして田尻さんはそれに続けて、さらにこう言った。
「二人です、三人です。」
一人の回りに二人目を作って、三人目を作って、そうやって社会を変えていくということを、田尻さんが、私たちに教えていってくれたんだと思います。

たいへん苦しい状況で、本当に虹になるかどうか、私は正直言うとよく分かりません、何かの虹になるかどうか分かりませんけれども、でも、諦めたら、それが最後の負けだと、自分に言い聞かせながら、生きています。
何とか困難を乗り越えて、いきたいと思います。

終わります
時間を大幅に超過してしまってすみませんでした。終わります。

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