1月6日 朝日新聞の記事「おーい正造さん4) 京大助教小出さんが語る」に、小出裕章氏のコメントが掲載されました。

おーい正造さん4)京大助教小出さんが語る
2012年12月18日の朝日新聞デジタル栃木県記事「おーい正造さん4)京大助教小出さんが語る」が小出裕章(京都大学原子炉実験所)の情報を拡散する会』さんのFacebookにて紹介されていましたので、このブログでも共有させていただきます。

▼朝日新聞デジタルへのリンク
朝日デジタル記事「おーい正造さん4)京大助教小出さんが語る」


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【友田雄大】原子力の研究者という立場から原発の危険性を訴え続けている人がいる。京都大原子炉実験所の助教小出裕章さん(63)だ。その心の中に、田中正造の精神が宿る。

昨年9月、佐野市で開かれた小出さんの講演会。「正造さんが100年以上前に命をかけて闘った、その課題は今も続いている」。東日本大震災による原発事故。その後の計り知れない影響――。鉱毒事件と闘った正造の姿が重なった。「私は原子力の場で生きてきた。いつも心の中で支えてくれたのが正造さんだった」。力強い言葉に拍手が起こった。

小出さんは45年前、東北大工学部原子核工学科に入学した。戦後の高度成長期。「原子力発電は夢のエネルギー」。そう信じて研究者への一歩を踏み出した。

しかし、宮城県内での女川原発建設に対する地元住民の猛烈な反対運動を知り、「自分がやろうとする研究は、社会にどう影響するのか」という疑問にぶつかった。海外での研究論文を調べ、考え抜いた末、「夢のエネルギー」となる一方で、大きな危険性も秘めていることを認識した。

建設地の女川町で部屋を借り、建設反対を訴えるビラを作って配った。さらに、愛媛県の伊方原発の建設許可取り消しを求める訴訟にも加わった。「一度生み出した放射性廃棄物は無毒化できない。次の世代の子どもたちに、ただただ申し訳がない」

正造を知ったのは、そうした闘いを続けている時だった。明治政府による殖産興業が叫ばれた時代、衆院議員として、政策に逆行するかたちで足尾銅山の鉱毒問題に向き合った。小出さんは、地位や立場に縛られず、自分が正しいと思うことに忠実に生きたその人生に魅せられた。

「正造さんには十分すぎるステータスがあった。それを捨ててまで民衆に寄り添って生きて、最後は無一文になっていた。そんなまっすぐなところが魅力です」と話す。

そして研究者として40年余、信念を貫き通してきた。小出さんは原発について、「私たちの世代が自分たちの利便さに目がくらみ、無毒化できない負の遺産を生み出してしまったことに謝罪したい」と語ったうえで、「若い人たちには、正造さんのようにまっすぐに、身分やステータスに縛られず、自分が正しいと思う生き方をしてほしい」と願いを託す。

冬の陽光が差し込む大学の研究室。壁に張られた正造の写真が、小出さんを励まし、見守っているように見えた。

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