2005年9月 「走馬燈のように巡る思い出」 小出裕章(『鳴り砂』第201号)

2011年9月13日(火)、小出裕章氏の講演会場のチラシに「鳴り砂」第201号(2005年9月)に寄稿された小出裕章氏の文章が掲載されていたとのことです。コメント欄にてちたりた様より教えていただきました。

以下転載。
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走馬燈のように巡る思い出  
                    京都大学原子炉実験所 小出裕章

 1970年10月23日、女川原発反対期成同盟による初めての大きな集会が聞かれた。振り返れば、すでに35年もの歳月が流れている。原子力平和利用の夢に燃え、原子核工学科に在籍していた私は、学問の意味と自分自身の生き方を大学闘争によって突きつけられていた。大学の中で原子力を推進する教官と論争し、何故、仙台ではなく、ろくに電気も使わない女川に原子力発電所を建てるのか、今となっては余りに明白な問への答えを探した。その私が、自分の選択の誤りを認め、原子力を廃絶させるべきものとして踏み出したのが、その集会であった。
 宗悦さんの紹介で眺湾荘(遠に解体されて今はもうないと聞く。当時もぼろぼろの長屋であった。私にとっては、名前すら懐かしい)に部屋を借り、鰹節を煮る工場の匂いをかぎ、港で荷揚げされる魚の群れを見ながら、仙台と女川での二重生活を過ごした。貧しかった。でも、楽しく充実した日々であった。コバルトラインなどもちろんなかったし、私たちにはもともと車もなかった。朝、眺湾荘を出、「のりひび」 というビラを抱え、五部浦沿いの道を高白浜を皮切りに、原発予定地に向かって歩いた。横浦、大石原、野々浜、飯子浜、塚浜、そして小屋取。集落に続く道を海辺に下り、一軒一軒ビラを撒いては、原発の危険を訴えた。嫌がられた家もあれば、「もう海は駄目だ、息子には町で働いてもらいたい」という漁師もいた。小屋取の急な坂道の上の家には、目の不自由な老婆がいた。話し相手もいなかったのか、ビラを撒く私たちを楽しみに待っていてくれた。ビラを撒き終わり、薄暗くなった頃、来た道をまたとぼとぼと女川に戻った。秋には、途中の道で咲いていたコスモスを折って持ち帰った。つい先日久しぶりに訪ねた阿部隣のおばさんも、そんなことを懐かしく覚えていた。
 その頃、女川の町から五部浦の道沿いに原発予定地まで、送水管が敷かれることになった。私たちは工事を阻止すべく、ユンボで掘られた穴にたびたび飛び込んで工事を遅らせた。その中で逮捕される仲間が出、私たちは私たちの行為の正当性を主張するために、あえて原子力問題を正面に掲げて裁判を受けて立った。伊方裁判もまだ始まっていない時代であった。日本で初めて原発の安全性を正面から問う裁判であった。東京水産大学の片岡実さん、早稲田大学の藤本陽ーさん、東大原子核研究所の水戸厳さんたちが快く証人になって私たちを支えてくれた。その水戸さんも今は亡い。私が恩師と思う本当に数少ない人の一人であった。 でも、すべてが懐かしい。もし時間を逆さに戻すことができるなら、唯一あの頃に戻りたいと思う私の青春のひとときである。
 私が女川に通っていたのは、今の職場に来る前の1974年の3月までであった。その後も、後に続いてくれた仲間違が、「のりひび」を出し続け、たしか100号まで、行ったのだったと思う。しかし、条件闘争へ転換した漁協は、100億円とも言われた補償金で原発を容認してしまった。それでも諦めない住民はもちろん残ったし、仙台・石巻の住民たちとともに裁判を起こして抵抗を続けた。その中で「鳴り砂」は出された。
私は、女川や伊方の裁判に関わる中で、原子力に関するかぎり、こちらから裁判に打って出ることは、むしろ私たちの力を弱めると確信していた。渡会さん、阿部康則さんもすでに亡くなってしまったが、彼らや原告の漁師達からたびたび証人として裁判へ出廷するよう頼まれたが、受けられなかった。「鳴り砂」に関わっていた人々は恐らくがっかりしたであろうし、頑な私に失望したに違いない。
 東大闘争で敗れた安田講堂の壁には、以下のように書かれていた。

   力及ばずして、倒れることを辞さないが、
   力尽くさずして、挫けることを拒否する。

 私は、これからも私らしく原子力開発に抵抗したい。願わくば、そんな私のわがままを許して欲しい。裁判は「鳴り砂」を出し続けた人たちにとっても、明るさの見えない苦しい闘いであったと思う。私にとっても残念なことに、裁判は私の予想通り原告敗訴となった。それでも諦めない人々が「鳴り砂」を出し続け、この7月で通巻200号になったという。長い道のりにただ頭が下がる。ご苦労様でした。

「鳴り砂」第201号(2005年9月)
(注)
この機関紙『鳴り砂』(女川原発訴訟支援連絡会議)は、現在「みやぎ脱原発 風の会」 http://miyagi-kazenokai.com/ にて受け継がれておられます。
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