7月28日 すでにチェルノブイリの3分の1相当の放射能が出て進行中 小出裕章(京都三条ラジオカフェ)

2011年7月31日

2011年7月28日、京都三条ラジオカフェに小出裕章氏が出演されました。コメント欄にてWeisse Roseさまより教えていただきました。

録音

7/29 【福島原発】京都大学 原子炉実験室 助教 小出裕章先生にきく

内容書き起こし

http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65754582.html


7月30日 九州電力に続いて発覚した今回のやらせ問題も、何の驚きもない 小出裕章

2011年7月30日

2011年7月30日の中日新聞朝刊に小出裕章氏のコメントが掲載されていました。

転載
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発覚は氷山の一角
 小出裕章・京都大原子炉実験所助教(原子核工学)の話
 原子力行政は、「原子力村」の中で、政府、自治体、電力会社がグルになってずっとやってきた。九州電力に続いて発覚した今回のやらせ問題も、何の驚きもない。逆に、ようやく今になって原子力行政の「常識」が問題視されるようになったということに驚く。わたし自身、何度も、原発政策を進める自治体でのシンポジウムで、多くの人が動員され参加するのを見てきた。今回明らかになった問題は氷山の一角にすぎない。
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7月27日 同僚・今中哲二氏の講演によせる小出裕章氏のメッセージ

2011年7月29日

2011年7月27日、サイト「京都大学原子炉実験所助教 小出裕章氏講演会情報」にて小出裕章氏のメッセージが掲示されています。

小出裕章氏のメッセージ

小出 裕章です。
今回、大阪女学院で今中哲二さんの講演会が実現することになりました。
京都大学原子炉実験所の原子力安全研究グループは
もともと6人で構成されていました。
ただ、現在、現役は今中さんと私の2人だけになって
います。
多くの方にご参加いただけると嬉しいです。

2011/7/27  小出 裕章

今中哲二さんの公演情報

わかりやすい原子力のお話
~ 福島原発事故:科学・技術の発展が私たちにもたらしたもの ~
講 師 : 今 中 哲 二 先生(京都大学原子炉実験所・助教)
月 日 : 2011年8月7日(日)
開 場 : 13:15
講 演 : 14:00 ~ 16:30
場 所 : 大阪女学院 ヘールチャペル

申し込み方法などの詳細は以下のリンクで読めます。

2011年8月7日(日) 今中哲二先生講演会@大阪女学院 « 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章氏講演会情報


7月28日 作業員の被曝上限を一生に1シーベルトと要請していたことについて 小出裕章(MBS)

2011年7月29日

2011年7月28日(木)、MBS(毎日放送)ラジオの「たね蒔きジャーナル」に、小出裕章氏(京大原子炉実験所助教)が出演されました。

番組内容

2011年7月28日【木】
“大阪大空襲”壮絶な被害の実態
太平洋戦争では大阪でもアメリカ軍による大空襲で多くの人たちが甚大な被害を被りました。空襲被害者の人生はとてもとても苦しいものになったのです。そのような被害を受けた当時の情況は、どのようなものっだったのでしょうか?そこには、とても納得できない情況もありました。被害者らが国を相手に謝罪と賠償を求めた訴訟を取材しているジャーナリストで「新聞うずみ火」代表の矢野宏さんにスタジオに来てもらい話しを聞きます。
京都大学の小出先生にはリスナーの皆さんからの質問を聞きます。切羽詰った関東からの質問もあります。

録音
20110728 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章

内容書き起こし

千葉「では小出さん。今日もよろしくお願い申し上げます」

小出「よろしくお願いします」

千葉「今日は、毎日新聞論説委員の池田昭さんと一緒にお伺いしてまいります」

池田「はい。よろしくお願いします。どうもー」

小出「よろしくお願いします。」

千葉「えーでは、今日はまずこの質問からお伺いします。」

小出「はい」

千葉「福島第一原発事故の作業に携わる作業員の方の被ばく線量限度についての問題なんですが。えー、今緊急時の特例として250ミリシーベルトと決められていますが。原子力安全保安院は、それでもこのままでは作業員が不足するとして、一生の間に、1シーベルト、つまり1000ミリシーベルトが限界という基準でいいと、これまでの規制等は別枠にするようにと、4月1日に厚生労働省に要請していたということがわかったというニュースが伝わってきております。このことについて小出さんはどう思われますか?」

小出「その決めた人に、まずそれで働いて欲しいです」

千葉「あー……。もう一生の間に1シーベルトというのはとてつもなく高い数値ということですよね。」

小出「一生の間にそんなに被曝をするということは実際にはありえないことであって、この事故の収束のためにそこまで働けと言ってるのですね。それを決めた人にその限度で働いて欲しいです」

千葉「とてもそんなことをするとは思えないというような大きな値だということですね」

小出「ええ。普通の日本人の方は1年間に1ミリシーベルトが限度だと言っていたわけで、1000年分、被曝をしろと言っているわけですし、私のような人間でも1年間の20ミリシーベルトが限度だと言われてきました。えーそれを1シーベルトというのは、50年間、つまりもう、その労働をする限りずーっとその限度いっぱい働け、というようなことを言ってるのですから、私から見れば、到底ありえない被曝量です。」

千葉「はい。わかりました」

池田「あの、小出さんあの。そもそもその東京電力がですね、その、例のあの被曝量50ミリシーベルト超の作業員が1600人という予測をしてましたよね。あの予測ってのはどうなんでしょうか」

この続きは以下のURLで読めます。
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65754122.html


3月14日 事故直後の小出裕章氏の指摘 風下の住民優先の避難や汚染水について(ラジオカフェ)

2011年7月28日

2011年3月14日、京都三条ラジオカフェに小出裕章氏が出演し、事故直後の状況を解説していました。コメント欄にてWeisse Roseさまより教えていただきました。私も聞いてみましたが、事故直後の混乱の中、風下の住民の避難、そして送り込まれた海水の汚染など現在問題になっているポイントを的確に指摘しています。

録音
2分25秒あたりから13分20秒あたりまで
3/14①【原発事故】小出裕章先生 細川弘明先生にきく


7月27日 作業員の被曝上限500mSv引き上げを菅首相が打診について 小出裕章(MBS)

2011年7月28日

2011年7月27日(水)、MBS(毎日放送)ラジオの「たね蒔きジャーナル」に、小出裕章氏(京大原子炉実験所助教)が出演されました。

番組内容

2011年7月27日【水】
原発事故に翻弄される福島県の畜産農家の思い
放射性セシウム汚染の問題が日本の畜産業を揺るがしています。きょうは、福島県二本松市で畜産業を営む「エム牧場」の村田淳社長にお話を聞きます。
震災以前は、県内7カ所の牧場で、1200頭の肉牛を飼育していたそうです。原発事故で、浪江町の牧場で飼育していた牛には殺処分の指示が出されましたが、村田さんは「殺処分はしのびない」と研究目的で生かし続けることを提唱しています。ここにきて、今度はセシウムの問題で、県内全ての肉牛が出荷停止になり、これから先が全く見えない状態です。出荷停止に苦しむ生産者と、安全を求める消費者がともに納得できる解決策はあるのでしょうか。
京都大学原子炉実験所・小出裕章助教の解説もあります。

動画
20110727 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章

内容書き起こし

水野「小出さんこんばんわ」

小出「こんばんわ」

水野「よろしくお願いします」

小出「こちらこそ」

水野「そして近藤さんです」

近藤「よろしくお願いしまーす」

小出「はい、よろしくお願いします」

水野「まず小出さんに一言ご感想を伺いたいことがございます。長野県の松本市で核兵器の国連軍縮会議というものが開幕しまして、この開会式で IAEA国際原子力機関の事務局長の天野さんが演説なさったんですが。こんなコメントがございました。『福島第一原子力発電所の事故はあるが世界的に原子 力の利用はこれから何十年も広がっていくだろう』と述べたということです。これについてどんな感想をお持ちですか?」

小出「あきれます」

水野「んー……。では次の質問に移らせていただきます。今度はですね、福島第一原発の3号機について伺いたいと思います」

小出「はい」

水野「今日3号機の建屋の2階に初めて作業員の方が入ったということです。で、この3号機というのはですね、まあもちろん1号機から3号機まで毎日 大量の水を入れて冷やそうとしてるわけですけれども。その多くが汚染水となっているのは皆さんのご承知のとおり。で、とりわけ3号機が多くの水漏れをして るそうなんですね。で汚染水の発生も多いということで。それはなぜなのか。なんとかもっと効率よく水を入れたいという意図もあって2階に入ったようです」

小出「はい」

水野「で小出先生。放射線量をロボットが調べたんですが、最大で1時間あたり75ミリシーベルトです。これはどういう事を意味しますか?」

続きは以下のリンクから
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65753896.html
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追伸)
ざまあみやがれい!さんから、今後のたね撒きジャーナルの書き起こしの協力の申し出をいただきましたのでありがたくお願いすることにしました。ちなみに「ざまあみやがれい!」というタイトルはちょっとドキッとしますが、忌野清志郎氏の口癖からとったとのことで他意はないそうです。ちなみに「小出裕章参考人の全身全霊をかけた凄まじい原発批判がわかりやすすぎる!」をなど小出氏の主張をネットで広めてもいます。


7月26日 食品安全委員会発表「生涯上限100ミリシーベルト」のゆるさについて 小出裕章(MBS)

2011年7月27日

2011年7月26日(火)、MBS(毎日放送)ラジオの「たね蒔きジャーナル」に、小出裕章氏(京大原子炉実験所助教)が出演されました。

番組内容

2011年7月26日【火】
主婦が測る食品の放射能
東京都小金井市ではチェルノブイリ事故後、市民から食品の放射能測定を求める声が高まり、1990年に市が本格的な測定器を購入しました。実際に測るのは主婦らで構成される「小金井市放射能測定器運営連絡協議会」のメンバーら。市の委託を受ける形で、この20年放射能の測定を続けています。協議会会長の香田頼子さんに、福島原発事故後の数値や、測定を続ける意義などをお聞きします。
京都大学原子炉実験所・小出裕章さんの原発事故解説も。

録画
20110726 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章

内容、書き起こし

(水野「小出さんこんばんわ」)

小出「こんばんわ」

(平野「こんばんわ。よろしくお願いします」)
(水野「よろしくお願いします」)

(水野「今日はまずですね。放射能の新たな被ばく線量の基準というものが、話が出てきまして。これについて伺いたいと思います。食品安全委員会というところがあります。ここは食品を通じた放射性物質の健康への影響を評価している所なんですが。そこがですねこういう話を出してきました。私たち人間が生きるこの一生、生涯ですね、生涯にわたって、どれだけ被曝するんか。累積、積み重ねて言った線量の数字、これの限度を定めようという話です。この食品安全委員会の考えはですね、一生涯で、上限、リミットが、100ミリシーベルトとする、という評価報告書をまとめました。そこで伺いたいんですこれ一人の人間が一生涯にわたって100ミリシーベルトまでは被爆しても、逆に言うと安全なんだという意味だと思うんですが。そう読み取ってよろしいんですよね? 小出先生」)

小出「えー、安全なんだと言ってるのとは違うと思います。」

(水野「違うんですか」)

小出「要するにそこまでは我慢をしなさいということだと思いますけれども。そんなことをそんなひとつの委員会が言う権限があるのでしょうか。日本人、というか日本に住んでる人というのは1年間に1ミリシーベルト以上の被曝をしてはいけないというのが法律の定めなんでね。えー、それは外部被ばくも、食品も含めての内部被曝も含めて、1年間に1ミリシーベルトと決めているわけです。まさか100歳まで生きるっていう人はあんまり多くないわけですから。まあどんなに生きても100ミリ、全部の被曝を合わせても100ミリになってはいけないというのが法律の定めであるにも関わらず、食品だけを通じて100ミリシーベルトまでいいと言ってるのですよね、この委員会が」

(水野「そういう意味なんですか」)

小出:はい。

(水野「これ内部被曝と外部被ばくを合わせて、生涯にわたる線量の限度を、って言ってるんですね?」)

小出「えー食品委員会がそういうふうに言ってるんですか? 食品の外部被ばくって言うのはどういう事を行っているのでしょうか。

(水野「えー、ですから私は食品も空気も、全部足しての話しかと思ったんです」)

小出「えー、食品委員会というのは多分食べ物を通じての事だと思いますし、外部被ばくの計算なんか出来ないと思います。」

(水野「はあー」)
(平野「そもそも、あの先生。自然界にあの年間1.5ミリシーベルト、あのー被爆してると。」)

小出「そうです」

(平野「言われてますよね。それプラス食品ということになると、もう2.5なりますね、この基準でもね。そうすると、もう全く、あのー、先生のいう1ミリシーベルトというのははるかに超えてますよね」)

小出「はい。ただもともと、その、1年間に1ミリシートベルトという被爆量の限度というのは、自然の被曝は除外してます」

(平野「ああ、除外してるんですか。ああ、なるほど、ということはあの」)

小出「人工的な、えー、上乗せの部分が1年間に1ミリシーベルトと言ってるわけで、それを人工的に上乗せされる外部被ばくも内部被曝も全て込みで1ミリシーベルト以下に抑えなければいけないと決まっています」

(平野「ああー、それを食品に限るのがおかしいということですねー」)

小出「そうです。全くあの、おかしいと私は思います」

(水野「今回はですね、やはり食品だけでは多分、駄目だということで、食品も他のものも全部ひっくるめて、この食品安全委員会が数値を出しているようです」)

小出「でもそんなことは食品安全委員会の権限を超えてるじゃないですか。」

(水野「多分、わたくし素人考えですが、多分ですね食品安全委員会はこれから様々な食品に対して、いろいろな規制をする値を決めていきたいと思ってるんでしょうね。今のところ暫定の規制値ってだしていますよね」)

小出「はい。それならば、あの」

(水野「それは暫定なので、ちゃんとした規制値を出すためには、その前の段階としまして一人の人間のライフスタイルを全体で見て一生涯でこれだけと決めて、そこから逆に言いますとこの食品についてはなんぼまで、この食品についてはなんぼまで、と言う考え方をしているのではないだろうかと、思われます)

小出「それは結構です。ただそのかわり、100ミリシーベルトまでですか、一生涯のうち。でも100歳まで生きる人はいないわけですから。」)

(水野「あんまりいらっしゃらないですね」)

小出「はい。えー、70歳まであるいは80歳までというふうにするならば、もっと低い、そうですね、どれだけなんだろう……あ、そうか」

(水野「まあ、例えば、80歳まで生きる方を」)

小出「そしたら80ミリシーベルトですね、最大で」

(水野「本当は80ミルシーベルトでなければいけな鋳物を上限100ミリシーベルトまで許されてしまうというふうに計算上なりますよね。ということは年間、これ、例えば、人生80年の方であれば、1年に1.25ミリシーベルト。」)

小出「なってしまいますよね」

(水野「ということは今までの1ミリシーベルトが法定の基準であれば、え? 25%アップってことですか」)

小出「そうですね。ですからそんなものを食品安全委員会とかいう委員会が許すなんていう権限はもともとないはずだと思います」

(平野「こんなしかし、意図は何なんでしょうかね?」)

小出「わかりません。被曝はもう我慢しろよと言って、少しずつ」

(平野「ゆるめてると。別の形の基準を設けて」)

小出「かなあと私は思いますが」

(水野「ではわたくしはこれがあの、基準をゆるめようとしてるのか、きつくしようとしているのかさえ、よくわからなかったんですけれども」)
(平野「メディアの記事、夕刊見ても全部ばらばらでわからなかったですね」)

小出「少なくともきつくはなってないですね」

(水野「そうか。だから私みたいに120歳まで生きるぞと思ってるような人で、」)

小出「(笑)。」

(水野「本当に120まで生きれば、もしかしては年間の限度としては1ミリシーベルトより低くなりますけれども。まあ多くの方はそうは行きませんねえ」)

小出「ゆるめられてしまいますね」

(水野「ゆるめられてしまう。で、例えばこの生涯の上限が100ミリシーベルトというものをまず基軸においていろいろな食品の暫定規制値を見なおしてちゃんとした規制値にしましょう、なんてことになると全体が緩むおそれがあるわけですか」)

小出「そうですね。多分そのための布石を売っているのだろうと思いますが」

(平野「もともとは暫定値は緩めてたんですよね。」)

小出「そうです」

(平野「あの3月の20日前後にね」)

小出「そうです。もともと1ミリシーベルトなんて基準は、とおく、とうの昔に撤廃されてしまっています。」

(水野「ということは、現在かなり緩んでしまっていたものが、変な言い方ですが、ちょっとはましになるんですか?」)

小出「(笑)。ましになったところで日本の法律を違反してますよね」

(水野「そうですよね。本来は日本の法律をちゃんと順守できるとこまで、」)

小出「そうです」

(水野「強めなければいけないのに。そこまでは強めることがもう現実的ではないという、ふうに読み取っ」)

小出「それはあるかも知れません。

(水野「とれるかもしれませんね」)

小出「はい。私はもうすでに3月11日で世界は変わったというふうに発言してる人間ですし、1年間に1ミリシーベルトという国の法律を守れないような世界にすでに変わってしまっている、のですね。そのことを国自身がはっきりと言わなければいけないし、国自身が法律を破らざるをえないと言わなければいけないと思います」

(水野「ただですね、今回のこの根拠を、がね、こんなふうに言われてるんです。日本人は自然界から年におよそ1.5ミリシーベルト浴びていると。だから同じ程度の被曝なら健康の影響は生じないだろうと」)

小出「(笑)」

(平野「(笑)」

小出「それはインチキですよね。ですから私たちは1.5ミリシーベルトの被曝をしてるわけで、そのことによって子どもの奇形を含めた異常とかですね、あるいは私たちの日本人が死んでいく癌のリスクをもうすでに負っているのです。それと同じだけの被曝を加えたら、くわえても安全だなんて言うことにはならないで、同じだけの危険が上乗せされるということです。」

(水野「ふーん。やっぱり上乗せされるという事ですよね」)

小出「そうです。被曝というのは必ずそういうものです」

(水野「リスクは。はあー。そこがまず、ね、意味がわからなかった一つでした。でもう一つ私がわからないのは、今の小出先生のお話を聞いておりますとね。食品安全委員会の産業部会の座長さんの言ってらっしゃることとなんか違ってるなあと思うんです。座長さんはこうおっしゃってるんです。『年間100ミリシーベルトは1年換算で1ミリシーベルト程度になり、かなり厳しい値である。より安全の側にたって判断した』」)

小出「とんでもない話ですね。」

(水野「つまりこれは、みんなが100年生きるという、計算上の話……」)

小出「なってますよね。そんなことはありえないのに。」

(水野「それとですね、『100ミリシーベルト以下だったら確実に安全だという根拠は見いだせなかった』ともあります。」)

小出「もちろんです。」

(水野「…そうなんだ……。」)

小出「はい。」

(水野「ほんまのとこ、またこんなこと言ったらそれは違うと言われるかも知れませんが。一生涯でどんだけやったら安全夜と思いますか? って聞いたらどう答えられますか?」)

小出「安全というのはありません。どこまで我慢するかということでしかありません」

(水野「ふうーん。それと今回その、セシウムのいろんな食品の話が出てますけれども。セシウムはどんだけ取り込んでも、いいと、しましょうというような放射性物質ごとに値を決めるということも出来なかったようなんです」)

小出「本当は決めなければいけません」

(水野「あ、そうですか」)

小出「はい」

(水野「それはどういう意味ですか?」)

小出「要するに、まあ、法律というものが今あるのですよね、日本という国に。で、その法律で日本に住んでる人は1年間に1ミリシーベルト以上の被曝をさせないと定めているわけです。で日本が法治国家であったというのであれば、それを守るように日本の国が規定をしなければならないのです。で、そのためにはセシウムであれば1年間にどれだけ以上を体の中に取り込んではいけないということは計算でもちろん評価できますし、ヨウ素についてはどれだけかということは評価できますので、えーそれぞれの寄与を全部足しあわせた上で、1年間に1ミリシーベルトでおさまる、というような規制の仕方を本当はしなければいけない。」

(水野「ただ、まあ、食品を通じてこうしたセシウムやストロンチウムを体に取り込んだ場合の影響は評価するデータがないと」)

小出「(笑)。あの、正確にはありません。正確にはないけれども、日本の法律でセシウムはどれだけ危険である、ストロンチウムはどれだけ危険であるということを仮定しながら、法体系を作っているのですから。法体系にのっとってやればいいのです。それがどこまで正しいかと問われると私も、えー、確実だとは言い切る自身がありませんけれども。でも日本の国にはそれに則ってやる責任があると思います」

(水野「はい。ありがとうございました。)
(平野「ありがとうございます」)
(水野「京都大学原子炉実験所助教、小出裕章先生に伺いました」)


7月25日 瓦礫で発電するバイオマス発電について 小出裕章(MBS)

2011年7月26日

2011年7月25日(月)、MBS(毎日放送)ラジオの「たね蒔きジャーナル」に、小出裕章氏(京大原子炉実験所助教)が出演されました。

番組内容

2011年7月25日【月】
「内部被ばく」引き続き
放射性物質が体の中に入ってしまうと、体の中で放射線が発射され続け被ばくしてしまう内部被ばく。広島と長崎の原爆投下でも、内部被ばくで多くの人が犠牲になったにも関わらず、戦後、国策や科学の名のもとに隠されてきたといいます。先週の水曜日、琉球大学名誉教授の矢ケ崎克馬さんに、そこまでお話しをお聞きしましたが、時間が足りずに終ってしまいました。きょうは、その続きです。東京電力・福島第一原発の事故の影響で内部被ばくは、どこまで影響するのか?矢ケ崎さんに聞きます。
京大の原子炉実験所の小出先生には気になる原発事故関連について聞きます。

録画

内容書き起こし
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(水野「京都大学現思慮実験所助教、小出裕章さんに伺います。小出さんこんばんわー」)

小出「こんばんわ」

(平野「こんばんわ、よろしくお願いします。」)
(水野「よろしくお願いしますー」)

小出「よろしくお願いします」

(水野「えー、今、ホームセンターで売られていた腐葉土、これ土地に栃木県産の腐葉土だそうですけども、その土からセシウムが出てきたというニュースをお伝えしました。腐葉土っていうのは、まあ木の葉っぱが落ちて、で、朽ちて、で栄養になってこう、土と一体化していくってものですよね。こうしたものの放射性物質というのは、まあ、出て当然なんですかね……?」)

小出「当然です」

(水野「はあー……。これはだけど、どんどんこうしたものがあの、見つかる場所が広がってくてるんですよね。」)

小出「はい。」

(水野「どこまで広がっちゃうんだろうという不安は抱かずにはいられないんですけれども……。」)

小出「えーっと、その栃木県産の腐葉土のセシウムの濃度というのが、今、私まだ知りませんけれども。濃度が高い低いを問わなければ、もちろん日本中汚れているわけですね。」

(水野「はい。そうですか。」)

小出「はい。関西地区だってもう土が、福島からの放射性物質で汚れてるわけですし。日本だけじゃなくて世界中が汚れてるわけですから。むしろ、当たり前と言わなければいけないとおもいます。」

(水野「そういうことなんですねえ。あの、そうした意味で、木の葉っぱ、あるいは木ということでね、一つうかがいますと。第二次補正予算案にですね、林野庁が1つの予算を計上しました。これバイオマスで発電する可能性を調査する費用なんですが。これからバイオマスの発電所をつくっていくという計画もあるようです。でそれを被災地につくっていくというような計画もあるようなんです。で、その時にバイオマスで発電する燃料としまして、被災地で発生した大量の瓦礫がありますが、この瓦礫の中の木の瓦礫、木のものを燃料にする、燃やして発電できないだろうかという話が出てきているようです。まあ、瓦礫を処理しつつエコの発電ができるという、ある意味一石二鳥というところを狙っているのかと思いますが。あのこれ今のところどこの瓦礫とかっちゅう情報までわかんないんですけれどもね。その木、の瓦礫の中にはやはり放射能汚染されたものもあるのではないかと、思うんです」)

小出「はい。当然あります。」

(水野「これを燃やすということ、どう捉えたほうがよろしいですかねえ?」)

小出「えー……、大変難しい問題ですね。要するにその福島県を中心として、いわゆる震災、あるいは津波で、瓦礫になったところがあるわけですけれども。それは放射能でも汚れている、のですね。要するに放射能っていうのはなんども聴いていただいたように、煮ても焼いてもなくならない、というものなわけで。瓦礫のままとっておいてももちろんなくならないし、焼いたところなくならない、のですね。でもし、瓦礫を処理するために焼くとするならば、えー、放射能が外に飛び散らないように、それなりの、排ガスの処理をしなければいけませんし、燃やしたあとに出てくる灰の中には猛烈な濃度の放射能が、えー、出てきてしまいますので、それをどうやって処分するのかっていうことも考えてからやるべきだと思います。」

(水野「やはり、相当そこは神経を使ってやらないと、また次の被害になってしまうわけですね」)

小出「そうです。でももう、あの、瓦礫自身が膨大にあるわけですから、いずれにしてもなにがしかの形で私たちが被曝をするということは避けられないということなのです」

(水野「うーん。ええ……、そうして平野さん、ずっと小出先生のおっしゃっていたこの福島第一原発の汚染水を地下水に混ざらせないための方策というのはやっとすすむんですか?」)
(平野「遮水壁ですね。これは地下ダムに近いものかもわかりませんけれども。先生あの、」)

小出「はい」

(平野「政府がですね。その前倒しでですね、今年の秋から、あのー、第二工程表でやるというようなことを言い出したんですけれども。)

小出「はい」

(平野「あのー、まあ1000億かかると、いうようなことで。先生あの、ずっと指摘されてましたけれども、このままいい方向に向かっていると見たらいいんでしょうか)

小出「もちろんそうだと思いますけれども。秋からじゃなくて今やらなければいけないと私は思っています」

(平野「まあ1000億というお金がですね。僕らにとっては非常にすごいお金だなあと思うんですけれども。それでももう当然、その先生はそんなにおおかかりにやらなくてもいいというようなお考えだったようにちょっと聞いたんですけども」)

小出「いえいえ、そんなことはありません」

(平野「ああ、例えば30メートル掘らなくても」)

小出「あ、はい。」

(平野「10メートルでも、やれる段階でやったらいいんじゃないかと。」)

小出「はい、えーとようするに、私自身もよくわからない、のです。」

(平野「ええ」)

小出「えー融けた炉心が地面にめり込んでいくはずだと私は推定してるのですが。そのめり込んでいく深さがいったい何メートルまでなのかということが私にはよくわかりません。で、そのめり込んでいった塊が地下水と接触しないようにしなければいけないのですが。えー、めり込む深さまでは最低やらなければいけないと。思いまして私は5メートルか10メートルというふうに言っているのですけれども。えー、確実な根拠があるわけでもありません。ですから本当に安心を求めていくならば、岩盤に達するほどの深さにまで行かなければいけないわけですし。そうするとずっとお金がかかるだろうと思います。」

(平野「はあ。そもそもこれ工程表、新しい工程表作るときにあの、ようするに格納容器の内部が状況わからないままこういうことを言い出しているんですよね」)

小出「そうですね。

(平野「これはあのやっぱり、見ない限りはいろんなものが、細部にあって、立てられないですよね」)

小出「もちろんです。でもそれが原子力発電所の事故というものの本質をむしろ表しているのですね。中身がみえないままやらなければいけない。」

(水野「中身を見られるようになるのはいつですか」)

小出「わかりませんけど、2号機と3号機に関しては、まだ原子炉建屋の中に入ることすらが出来ないのですね。でまあ、入ってみて、水位計ほかの計器を調整しながら作業をすすめる問事になるわけですけれども。ええ、まだまだ時間がかかるだろうと私は思います……。」

(水野「そうか、中身が確かめられないというのが、原発事故の本質ですか」)

小出「はい」

(水野「どうもありがとうございました」)
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7月19日 「核」に関するベストセラーについて 小出裕章(The Washington Post)

2011年7月25日

2011年7月19日、The Washington Postに小出裕章氏に関する記事が掲載されていました。コメント欄にて、茲愉有人さま、千葉ニュータウン在住Ms.さまなど多数に人に教えていただきました。

以下、The Washington Post「In Japan, nuclear bestsellers reflect new debate – The Washington Post」の訳出。

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In Japan, nuclear bestsellers reflect new debate
By Chico Harlan, Tuesday, July, 19

日本では、「核」のベストセラーが新たな論争を映しだしている
チコ・ハーラン  7月19日火曜日

TOKYO — A Japanese nuclear researcher with a four-decade track record of activism and obscurity was walking through Kansai International Airport a few weeks ago when he spotted a display of bestsellers at a bookstore. Glancing down, he saw his latest book, “The Lie of Nuclear Power,” with his face emblazoned on a corner of the cover.
 東京ー40年にわたって人知れずしかし積極的に活動の歴史を刻んできた一人の原子力研究者が、つい数週間ほど前に関西国際空港の中を歩いていた。そのとき彼はある書店でベストセラーの展示を見つけた。ちらりと目を下ろしてみると、そこにあったのは、彼の顔が表紙の隅を飾るその最新の著作「原発のウソ」だった。

For Hiroaki Koide, the moment confirmed a shift — that of a fringe interest turning mainstream. Four months into the most severe nuclear crisis in a quarter-century, while Japan’s bureaucrats and power industry chiefs tussle over nuclear energy policy, at least one industry has raced to make wholesale adjustments. Publishers are releasing books about nuclear power at the rate of more than one a day, according to bookselling Web sites, begging for content from authors who once wondered why they had so few readers.
 小出裕章にとって、それは変化を確信した瞬間だった。その変化とは、これまで人々の関心の範囲外だったものが主たる関心事になろうとしていることだ。日本の官僚たちと電力業界の責任者たちが核エネルギー政策を巡って激闘するなか、少なくとも一つの産業が、大規模な適応を急速になし遂げた。出版社は1日につき1冊を超える割合で核に関する本を出版し続けていると、書籍販売のウエブサイトは示しているのだが、かつてあまりの読者の少なさに驚いていた著者たちに就筆を懇願している現状だ。

Those books now drive Japan’s new national debate about nuclear energy policy. They also mirror the trend in the conversation, skewing four-to-one against nuclear power — roughly the ratio recorded in recent opinion polls. Some of the books are dispassionate, loaded with charts. Some drip with anger. Some are rueful. But taken together, they reflect a society that has increasingly lost trust in government information.
 そうした書籍は今や、核政策に関する日本の新たな国民的な話し合いを動かしている。それらの書籍は、また世論の傾向を反映しているのだが、最新の世論調査での大まかな数字によれば、それは原子力反対の声の方に4対1の割で傾いているのである。本の一部は図表を掲げて冷静に書かれたものだ。一部は怒りをにじませたもの。一部は悲しみにくれるものだ。しかしそれらはおしなべて、政府の情報への信頼喪失が増大する一方の社会を反映している。

The author list is eclectic, encompassing academics, journalists, industry experts, former insiders and renegade government officials. Eisaku Sato, a former Fukushima governor, wrote a book (“The Truth About Fukushima Nuclear Power Plant”). So did Yoichi Kikuchi, one of the engineers who helped construct Fukushima Daiichi. (“The Reason Why I, Who Made Nuclear Power, Now Oppose It”) One Economy Ministry official took a crack at telling an insider’s tale — “The Collapse of Japan’s Central Administration,” he called it — but about a month after Shigeaki Koga became a best-selling author, he was asked to resign, a request he has so far resisted.
 著者のリストは多方面にわたる。学術界の人々、ジャーナリスト、産業界のエキスパート、元インサイダー、そして反逆する政府官僚。以前の福島県知事である佐藤栄佐久は一冊の本(「福島原発の真実」)を著した。福島第一の建設にかかわったエンジニアの一人である菊池陽一も同様だ(「原発を作った私が原発に反対する理由」)。ある経産省官僚が「日本中枢の崩壊」と自身で呼ぶインサイダー情報を語って物議をかもした。しかしこの古賀茂明がベストセラー著者となった1ヶ月ほど後に、彼は退職を求められた。それはこれまでのところ彼が抵抗している要求である。

Though there is no definitive list of nuclear-related books published since the March 11 earthquake and tsunami that triggered the crisis, Amazon.com’s Japan site lists almost 100 released in the past 30 days. Minato Kawamura, a professor at Tokyo’s Hosei University, has tried to keep pace, spending more than $2,500 on 150 recently published nuclear books, including 100 re-released versions of older titles.
 この危機の引き金を引いた3月11日の地震と津波以降に出版された核関連の書籍は、これで終わりではない。アマゾンジャパンのサイトには、過去30日の間に100冊に達しようとする新刊が並んでいる。東京の法政大学教授の川村湊は遅れを取らないように、最近出版された150冊の核関連書籍に2500ドルを費やしているのだが、購入した書籍の中には100冊の復刻版がある。

Kawamura’s expertise in all things nuclear developed after he had written a nuclear book of his own — a diary-style account of the emergency’s first 15 days. When Fukushima Daiichi’s reactor buildings started to melt down, he had been in the middle of writing a book about Japan’s wartime occupation of Manchuria.
 川村の核に関する全ての専門的知見は、彼が核問題の本、最初の15日間の緊急事態に関するの日記スタイルの評論、を書いてから発達した。福島第一原子炉建屋でメルトダウンが始まった時、彼は戦時中の日本による満州占領についての本を執筆中だった。

“I called my editor and asked, ‘Um, can I change the subject?’ ” Kawamura said.
 「私は編集者を呼んでたずねました。『あのう、本のテーマを変えてもいいですか』って」と川村は言う。

Nuclear experts note that, for decades, Japan’s publishing industry followed a policy every bit as entrenched as the pro-nuclear message promulgated by Tokyo bureaucrats.
 核の専門家が指摘しているのは、何十年にもわたって日本の出版社が、東京の官僚たちの手で公布されてきた原発推進メッセージによって定着した政策にどこまでも従ってきたことだ。

“The saying was, a book that relates to nuclear power doesn’t sell,” said Jun Tateno, a former official at the Japan Atomic Energy Research Institute who published a little-read book in 2003.
 「核に関連した本は売れないと、そんなふうに言われてきました」。日本原子力研究所の元研究員、館野淳はこのように語る。彼は2003年に本を著したがほとんど売れなかった。

Academics and researchers in the field, particularly those who opposed the use of nuclear power, had little choice but to embrace obscurity. Koide, an assistant professor at the Kyoto University Research Reactor Institute, spent his career assisting with anti-nuclear lawsuits and giving lectures to small civic groups. He also wrote several dense books, most of them compilations of his lectures, starting with the 1992 title “Going Beyond the Realities of Radioactive Contamination,” which sold 3,000 copies, Koide said.
 この分野での科学者と研究者、特に核の力の利用に反対する者たちには、世に知られないことを受け入れる以外の選択肢がほとんどなかった。京都大学原子炉実験所助教の小出は、原発反対の訴訟を助けたり、少人数の市民グループへの講演を行ったりして生涯を過ごした。彼はまた多くの充実した本を書いたが、ほとんどは彼の講演を集積したもので、初めて書いた1992年発行の「放射能汚染の現実を超えて」が売れたのは3000部だったと小出は語った。

The March 11 disaster boosted demand for Koide’s expertise. Now his lectures draw up to 1,000 people. His phone rings twice a day, on average, with interview requests. He appears on television. But he acknowledges that the transformation has caused him more regret than satisfaction.
 3月11日の災厄は小出の専門知識の需要を高めた。今、彼の講演は1000人にのぼる人々を集めている。インタビューを求める電話は平均して1日に2回かかってくる。彼はテレビにも登場する。しかし、この変化が原因で満足する以上によりひどく悲しんでいるとを彼は認めている。

“I heard this book was selling well, but I have very mixed feelings about that,” Koide said of his new book, which has sold more than 200,000 copies. “It’s selling well because the accident happened. The last 40 years, I’ve been working in this field so accidents like this wouldn’t happen. Now something horrible happened, and my books are popular.”
 「私はこの本が多く売れていると聞きました。でも私はこれには非常に複雑な気持ちです」。彼の新著は20万冊も売れているのだが、それについて彼はこう話した。「事故が起きたから売れているのです。この40年間、私はこの分野で、こういった事故が起こらないようにと願って働いてきました。いま恐ろしいことが起こり、だから私の本は有名になっています。」

In conversation and in his books, Koide talks often about responsibility. For the nuclear accident itself, he blames both the government and Tokyo Electric Power Co., the plant’s operator. He blames the collusive relationship between regulators and operators. But he also blames the bystanders — indeed, much of the nation that bought the idea that nuclear power is safe.
 会話の中そして著書の中で、彼は責任についてたびたび言及する。原発事故自体については、彼は政府および原発を運営する東京電力の両者を非難する。規制する立場の者たちと稼動させる者たちの間にある腐敗した関係を非難する。しかし同時に、彼は傍観していた人々をも非難する。実際にこの国の大多数の人々は核の力が安全だという考えを支持していたのだ。

“Those who were deceived are also responsible for having being deceived,” Koide wrote in his book.
 「騙された人たちもまた騙されことに責任を負っているのだ」、小出はこのようにその著書に書いた。

Compared with the past, he wrote in earlier passage, more and more people are listening to him now: “People are beginning to realize that nuclear power is dangerous. I think maybe now is the time when we can make a decision to make a significant turnaround in our society.”
 過去と比べて、ますます多くの人々が彼の声に耳を傾ける今、彼は序盤の一説にこう記した。「人々は核が危険なものだと気づき始めている。たぶん今が、この社会をはっきりと方向転換させようという決定を我々が下すときではないかと思う」。

Special correspondents Akiko Yamamoto and Sachiko Iwata contributed to this report.
 特派員ヤマモト・アキコとイワタサチコがこのリポートを執筆した。

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このエントリーは元記事「In Japan, nuclear bestsellers reflect new debate – The Washington Post」を、ベストセラーに反映される新たな論争を参考にして、管理人が訳出したものです。

「nuclear」の訳は、「核」という表記に統一しています。


8月号巻頭特集「小出裕章の放射能の話」(DAYS JAPAN)

2011年7月24日

広河隆一氏が編集長をつとめるフォロジャーナリズム月刊紙「DAYS JAPAN(デイズ ジャパン)」の8月号の巻頭特集に「小出裕章の放射能の話」が掲載されています。

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